『新しい目の旅立ち』プラープダー・ユン著|福冨渉 訳


■ ゲンロン叢書004|四六判変形|本体256頁|2020年2月7日発売|本体2,200円+税|ISBN :978 4 907188 34 4

【プラープダー・ユン氏はSkypeでの参加予定です。】
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新しい目で世界を見るため、
内的な旅へ。

内容紹介

新世代の小説や映画を続々発表、タイ・ポストモダンのカリスマとなったプラープダー・ユン。そんな流行作家も30代半ばを迎え、精神的危機に直面する。バンコクの喧騒を離れ自然と触れる旅に出た作家だが、新しい経験と出会うことができず、旅の失敗を危惧する。そんな折、フィリピンの作家たちとの交歓で話題に上った「黒魔術の島・シキホール島」。興味をもった彼は即座に渡航を決意する。魔女や祈祷師との対面、そして島で暮らす人々との交流のなかで再発見したのは、かつて親しんでいたスピノザやソローの哲学だった。「新しい目」で世界と出会う、小説でも哲学でもある思考の旅の軌跡。


著者紹介

プラープダー・ユン
1973年、バンコクに生まれる。14歳までタイ国内で育ち、教育を受けたあと、アメリカに渡航し、現地で学ぶ。ニューヨーク、クーパー・ユニオンの美術学科で学士号を取得して、短期間だけグラフィック・デザイナーとして働く。26歳のとき、タイの法律にのっとり、帰国して兵役に服する。6ヶ月の軍事教練を終了して、本格的に執筆活動をはじめる。2002年に、短編集『可能性』が東南アジア文学賞の短編部門を受賞する。この受賞によって同作品集はベストセラーとなり、作品がタイ社会で広く読まれ、批評されるようになる。

現在まで短編、長編、エッセイ、論考の執筆を続けており、Studio VoiceやEsquireといった日本の雑誌に寄稿したこともある。また、日本では短編集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年)や長編小説『パンダ』(宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年)などが出版されている。2016年には、短編集がはじめて英訳され、英国で出版された。さらに、作品が中国語やイタリア語でも翻訳出版されている。

執筆活動に加えて、バンコクで小規模な独立系出版社Typhoon Booksを経営している。デザイナーとしても活動するかたわら、さまざまなアート作品や映画作品も発表している。2017年には、社会的に認知され、優れた中堅のクリエイターにタイ文化省が与えるシンラパートーン賞の文学部門を受賞した。


訳者

福冨渉 | Sho Fukutomi
1986年東京生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。鹿児島大学グローバルセンター特任講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社、2017年)、訳書にウティット・ヘーマムーン『プラータナー:憑依のポートレート』(河出書房新社、2019年)。その他コラム等多数。


訳者による特別インタビューを公開しました! 【特別掲載】日本でタイ文学を読むとは――
『新しい目の旅立ち』刊行記念 訳者インタビュー


  • 福冨渉 @sh0f
  • 聞き手=東浩紀+上田洋子
ゲンロン叢書004、プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』が2月7日より全国書店、およびゲンロンショップ(印刷版電子版)、Amazon(印刷版電子版)にて発売となりました!
本書は著者が「黒魔術の島」と呼ばれるフィリピンのシキホール島を訪れた体験を、哲学的な思索とともに綴った紀行文です。プラープダーはタイ・ポストモダンの都市文化を代表するカリスマ。その彼がなぜ、バンコクを飛び出し、「黒魔術の島」へ渡ることになったのか。その背景にあるタイの文化的・政治的背景や、そこから来るタイ文学の魅力、そしてタイ文学をいま日本で読む意味について、訳者の福冨渉さんにうかがいました。
※本記事は『ゲンロンβ45』に掲載されたものです

 プラープダーという作家――本日は『新しい目の旅立ち』の刊行を記念し、訳者である福冨渉さんにお話をうかがいます。まず著者のプラープダー・ユンについて、簡単にご紹介ください。

福冨渉 プラープダー・ユンは、一九七三年生まれのタイの作家です。二○○○年代初頭に文壇に登場したとき、彼は若手のホープとして、文学ファンのみならず、さまざまな方面から注目を集めました。小説家としてだけではなく、グラフィックデザイナーとしても活動していたこと、大手メディア会社の創業者を父に持つ御曹司であること、アメリカ帰りでルックスも端正なことなどさまざまな要素が相まって、社会現象になりました。
当初のスター性は年齢とともに変化していきましたが、最近まで、タイ国出版社・書籍販売業者協会で役職を務めるなど、非常に活躍している作家です。刊行ペースにはばらつきがありますが、継続的に作品を出版しており、固定ファンもついています。
プラープダーの作品の特徴として、孤独な都市住人にフォーカスをあてている点が挙げられます。グローバル化した現代において、タイでも日本でも共通する「寂しさ」を抱える人々の心に響く、新時代の小説として受け入れられてきました。作品はすでにいくつか日本語に翻訳されていますし、彼が脚本を担当し、浅野忠信が主演した映画『地球で最後のふたり』(二○○三年)も二〇〇四年に日本で公開されています。
彼が生まれた七○年代は、タイにとって、軍事独裁政権が終わった直後のタイミングでした。彼らが青春時代を過ごした時期にも再び民主化運動が活発になり、さらに作家活動を始めた二○○○年代からは政治の混乱がつづく。プラープダーはこうした時代を生きていた世代です。いまのタイでは、プラープダーと同じ一九七○年代生まれの作家が幅広く活躍しています。政治や社会を巡る経験を、さまざまなアプローチできちんと物語に落とし込んでいる作家が多い、非常に面白い世代だと思っています。

――『新しい目の旅立ち』はどのような作品ですか。

福冨 プラープダーは小説家ですが、『新しい目の旅立ち』は小説ではありません。プラープダーがフィリピンのシキホール島へ旅したときの思索を辿る記録です。
ぼくはこの作品を読んですぐに「これは翻訳しなくてはならない」と思い、ゲンロンさんにご相談しました。というのも、『新しい目の旅立ち』は、タイ・ポストモダン文学を象徴する従来のプラープダーの作品とはちがい、むしろそこからの転回が刻まれている、自然を巡る哲学的なエッセイだったからです。
この作品でプラープダーが、自分を都市に生きる中間層だととらえていることはとても重要です。彼は自分がインテリであることを否定したいと思い、悩みながらも、同時にそのこと受け入れざるをえないという結論にいたっていきます。その立場の良い側面も悪い側面も認識し、そこから自分の新しいスタートを切っていく意志を表明していることが、とても大事だと思ったのです。
単純にプラープダーの自然に対するアプローチや考え方を辿っても、知的な冒険として楽しい本です。また、環境問題についての考察は、日本の読者にも関心が持たれると思います。しかしそれだけでなく、「なぜ彼は考えるために旅をしたのか」を考えることが大切です。知識や思索が軽視されがちな日本の社会において、こうしたアプローチの本が読めるようになることはとても意義があると考えています。また、「旅」と「思考」の関わりという点で、ゲンロンと近いところで仕事をしている作家とも感じました。ぜひ広く読んでいただきたいと思います。

 プラープダーの世代

――プラープダーのような作家が登場した背景をお聞きしたいと思います。同世代にはどのような作家がいるのでしょう。

福冨 今年(二〇一九年)、ぼくが『プラータナー:憑依のポートレート』(二○一七年、翻訳は河出書房新社)を訳したウティット・ヘーマムーンも同世代です。彼は自身の個人的な経歴や家族史と、タイの政治的な物語をうまく交差させて書いています。個人の語る声を大きな見取り図のなかに配置し、丁寧に絡み合わせることができる稀有な作家だと思っています。
ほかには、東北タイ出身のプー・クラダートがいます。彼は作品のなかで、いわゆる標準タイ語と東北タイの方言(イーサーン語)を混ぜあわせて使います。東北タイは、タイ近代の歴史上、差別を受け、社会的に低い位置に置かれてきた土地です。そこから現れた作家が、中央の文学、中央の言語に対して、自分たちの言葉と物語で新しい問いかけをしている。

――プーはどのような作品を書いているのでしょう。

福冨 長編では東北タイがいかに虐げられていたかという話を、短編では不条理な神話のような作品を書いています。その語りはとても独特で、マジックリアリズム的です。彼の代表作『追放』は、東北タイからバンコクの近くに出稼ぎに来た男が、バスに乗って実家に帰るだけの話です。けれども、バスが少なすぎて待ち時間に数日かかり、そのあいだに奥さんの幽霊と会話をすることになる。そのあいだに、タイの現代史の文献が挿入される構成です。幽霊との対話は東北タイの言語で語られながら、そこに標準語で書かれた施政者の歴史が挿入される。言語的なちがいがあるので読むのが難しいですが、非常に面白い作品です。

――イーサーン語は、タイ語よりむしろラオス語に近いと聞きました。標準的なタイ人が読んで理解できるものなのでしょうか。

福冨 かなりたいへんだと思います。彼の作品はイーサーン語とタイ語が混ざっているので、まったく独自の表現もあります。文法的にも標準タイ語とちがうところがあり、ぼく自身もまだ掴みきれていません。きちんとイーサーン語の文脈で読み解いているタイの批評家もいない。

――日本では、リベラルによる単一民族国家批判があり、それを受けて多様性を強調する文学が現れています。タイでも同じ流れがあるのでしょうか。

福冨 東北タイの文学は三○-四○年ほど前から出始めました。それに加えて最近はムスリムの文学も現れています。若い世代がある程度グローバルで、マルチカルチャー的な価値観を備え始めたということだと思います。

――プラープダー・ユンは、曾祖父の代にタイに来た移民の家系でもあります。

福冨 中華系はタイの民族構成のなかで、タイ族のつぎくらいに大きな割合を占めています。ただ、いまでは同化が進みルーツを辿るには時間が経ちすぎているので、ほとんど意識されません。もちろんアイデンティティを強く持った家もあります。すこし前に読んだ若い女性作家の作品では、親戚を呼ぶときにタイ語ではなく中国語の表現を使っていました。中華系は、家族経営のビジネスをしているなど、むしろ裕福なイメージが強いです。

――プラープダーの姓は中華系ですが、タイの読者はそれはあまり意識しないのですか。

福冨 しないと思います。タイにはもともと中華系の名字があるので、有名な一族を除いて作家もそこにアイデンティティを求められることはありません。戦前から始まった公定ナショナリズムの効果もあるでしょう。中華系に限らず、ムスリムや山地民含めて、「タイ化」をとても強力に図った歴史があります。

 タイ文学と政治

――タイ文学の魅力を教えてください。

福冨 タイのひとたちは政治や社会のダイナミックな混乱のなかで生きている。そのなかの一人ひとりの声に、きちんと触れられる作品が多いことが魅力です。政治や社会の問題が市民の声に反映されていて、その反映を読み取ることができる。もちろん日本でも政治問題を反映した文学はありますが、大きな流れと個人の命に同時に触れられる読書経験はあまりありません。タイ文学にはその感触がとてもきれいに残っていて、それこそが魅力だと思います。

――それはプラープダーの世代に特別に強いのでしょうか。

福冨 プラープダーの世代の作家たちは、ウティットやプーを含め、知識人として政治や社会を描く役割を強く意識しているように見えます。いま二○-三○代の作家は、むしろ私小説寄りというか、社会や将来に対する諦念が感じられて、アプローチが変わっている印象です。

――プラープダーはつぎに政治に関する本を出す予定だと聞きました。

福冨 『立ち上がる自由主義』と題されています。二〇○○年代に入り、タイの政治は混乱し始め、作家や学者たちが政治的活動に乗り出すようになりました。プラープダーはかつてはそれほど明確な立ち位置を示していませんでしたが、近年では、同じ世代を中心に作家集団を作り、社会的メッセージを発信していたこともありました。

――そのような作家の声は、どれほどの影響力を持っているのでしょう。

福冨 タイは日本とくらべて Facebook の利用率が高く、作家たちもそこで意見を発しています。ですから、「この作家はこういう思想を持っている」ということはかなり広く伝わっていると思います。ただ、作品が発しているメッセージと作家がSNSで発するメッセージが乖離している部分もあり、同じ層に届いていないこともあります。たとえばウティットには、彼の政治的立場と真逆の読者が多くいます。そうした読者は、彼の作品のなかでも政治色が前面に出ていないものを好んで読んでいる。だから作家たちのメッセージが意図したように広く届いているかというと、必ずしもそうではありません。

――プラープダーやウティットは、かなりはっきりとした権力批判を行なっているのでしょうか。

福冨 けっしてアジテーションではありません。けれども、読めば「あの事件のあの首相の言葉を皮肉っている」とわかるようなものが多い。SNSでの情報発信は、文芸的なレトリックを用いて時間をかけてメッセージを伝える表現とは、まったくちがうものだと感じます。

 タイ文学を翻訳するということ

――福冨さんはなにをきっかけにタイ文学に興味を持たれたのでしょう。

福冨 一○代のころから翻訳に興味があったので、二○○五年に東京外国語大学に進学しました。どの言語のどのジャンルを訳すのかという意識はとくにありませんでしたが、高校にタイから留学生が来ていたこともあり、大学からタイ語を始めました。タイ語を使ってなにかやりたいとは思っていたものの、そこからどういうフィールドに行けるのか、深くは考えていませんでした。
ただ、サブカルチャーに興味があり、音楽を聞いたりマンガを読んだりしていたので、タイにもそういうカルチャーはないのかなとは思っていました。ちょうど同じ大学出身の先輩が、日本でタイのインディーズ音楽やマンガを紹介するイベントをやっていました。それで大学生のときに、その団体のお手伝いをさせてもらうようになりました。当時、タイ舞踊など伝統文化ではない現代のタイに触れるには、そういうイベントに関わるしかありませんでした。

――当時もタイへの旅行者は多かったと思います。そこから現代のタイ文化につながる回路はなかったのでしょうか。

福冨 あまりつながっていなかった印象です。いまならネットがあるので、たとえば音楽であれば配信で触れることができる。でも当時は、現地へ行ってどこかのシーンに入ろうと思っても、タイ語の知識が必要でした。
とはいえ、すでにアピチャッポン・ウィーラセタクンのような映画監督はカンヌなどの映画祭でいくつかの賞を受賞し日本に紹介されていたので、回路は開けると考えていました。ちょうどそのタイミングでプラープダーの邦訳短編集(『鏡の中を数える』、タイフーン・ブックス・ジャパン)が出ました。二○○七年のことで、ぼくは大学三年生でした。小説を読むのも好きだったので、そこから意識的に文学にシフトしていきました。

――日本で現代タイの文学があまり紹介されていない理由はなんでしょう。

福冨 問題は研究者や翻訳者など、紹介をするひとが少ないことです。それでもタイ文学はまだましなほうで、ほかのASEAN諸国、たとえばインドネシアやベトナムの文学は、ごくまれに翻訳が出ても大御所のものばかりです。シンガポールやマレーシア、フィリピンとなると、どういう作家がいるのか情報すら入ってきません。たまたま英語圏で活躍している作家が英米系のメディアを通して紹介されることはあっても、東南アジアからの作品として入ってくることはほぼありません。

――福冨さんは雑誌『東南アジア文学』〈★1〉の編集委員でもあります。ASEAN諸国の文学に共通性はどのくらいあるのでしょう。英語圏で活躍している作家との話がありましたが、近隣言語同士で翻訳はされているのでしょうか。

福冨 そもそも英訳に関しても、アメリカの地域研究者が資料用に翻訳したものはあっても、文学として積極的に訳されているわけではないんです。以前タイの雑誌で「外国語に訳されたタイ語」という特集があったときに、挙がっていた日本語、英語、中国語、フランス語の四言語のなかで、なんと日本語への翻訳がいちばん多かった。
また近隣言語への翻訳もほとんどされていません。「東南アジア文学賞」という賞があるのですが、受賞作を各国の言語に翻訳しようと思うだけでも、まずタイ語からビルマ語に訳し、それをラオス語、クメール語、マレー語に……と非常に手間がかかる。しかも言語同士がそれほど似ているわけでもないんです。文化的につながる部分はあるのですが、言語的にはつながりづらい。
「東南アジア文学」はじっさいには、欧米のような支配的言語の文学に「東南アジア」として対抗するために作り出された枠組みにすぎないと思います。『東南アジア文学』を編集する立場でこのようにいうのは変かもしれませんが、その枠組みを無理に維持する必要はない。「東南アジア」そのものが、もともと冷戦期にアメリカが考え出した、共産化を防ぐための範囲設定にすぎないんです。

――タイ文学研究の展望を教えてください。

福冨 いまの研究者を見ると、一部の先生は現代の作品も読みますが、みなさんかなり年齢が上ですし、それぞれのテーマがある以上現代文学だけをやるわけにはいかない。アカデミアでは、現代の作品の研究は評価されない傾向があります。
そもそも紹介者不足の背景には、単純に、興味を持っている日本人がほとんどいないという事情があります。東京外国語大学でも、ぼくと指導教官のあいだは四○歳近く離れているのですが、そのあいだタイ文学を専門に研究する大学院生はいませんでした。文化やカルチャーに興味を持っている学生も、マイナー言語に入ってくることはほとんどない。むろん言語の障壁は大きい。タイ側でも、文化的な情報発信は進んでいない。
ただいちばん大きな理由は、日本人の東南アジアへの関心が、観光やビジネスといった経済面に偏ってきたことでしょう。しかしそれはさみしいことです。今回の翻訳をきっかけに、状況がすこしでも変わるといいと思っています。

――ありがとうございました。


1 一九九六年から東京外国語大学の教員・学生が中心となって制作・発行している、古今の東南アジア文学を翻訳紹介する雑誌。最新号は二〇一九年に発行された一七号。多くの翻訳作品が、以下の公式tumblrページからPDFファイルとしてダウンロードができる。
URL= https://sealit2013.tumblr.com/