実存主義的ゲームにむけて ――『Detroit: Become Human』の問い  デヴィッド・ケイジ  聞き手|東浩紀【#ゲンロン8 発売記念】


  

 

『ゲンロン8 ゲームの時代』の発売を記念し、本誌収録の記事や関連コンテンツの一部を無料公開!
ここに公開しているのは、ゲーム『Detroit: Become Human』製作者への東浩紀による独占インタビューです。作品にこめられた問題意識や、分岐型ゲームの魅力に迫りました。5月配信の『ゲンロンβ25』に掲載され、話題沸騰だった本記事を特別無料公開します!(編集部)

 『ゲンロン8 ゲームの時代』特集目次 

 


実存主義的ゲームにむけて
――『Detroit: Become Human』の問い
デヴィッド・ケイジ 聞き手|東浩紀


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©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

――本日はお時間をとっていただき、ありがとうございます。ぼくは哲学者で、『ゲンロン』という雑誌の発行者です。前号の『ゲンロン7』で PlayStation®4 用ソフト『Detroit: Become Human』(以下『デトロイト』)のPVを取り上げ、サイバーパンクの歴史や現代社会との関係を論じました。それを興味深いと思ったソニー・インタラクティブエンタテインメントのかたが、このインタビューの機会を設けてくれました。
『デトロイト』のディレクター兼シナリオライターを務められたデヴィッド・ケイジさんに、いろいろとお伺いしたいと思います。まずはこの作品の舞台について質問させてください。なぜデトロイトを舞台に選んだのですか。

デヴィッド・ケイジ 理由はいくつかあります。第一の理由はきわめて現実的なものです。デトロイトは自動車産業で栄えた都市であり、たくさんの巨大な空倉庫がある。アンドロイド産業が世界のどこかに定着しなければならないとすれば、ここだと考えました。第二にわたしは、デトロイトの物語に興味をもちました。デトロイトはかつて巨人でしたが、そのあと困難な時代に入った。そしていまは再建を試みている。それはまるで人間の物語のようです。成功を収め、苦しみ、復活するキャラクターですね。わたしはこのような話が好きです。三つめの理由は歴史です。デトロイトでは多くの重要なことが起こりました。とくに市民権に関わることです。一九六三年に「自由への行進」があり、マーティン・ルーサー・キングがそこにいました[★1]。今年はキングの死からちょうど五〇年にあたります。以上のような理由で、デトロイトはこの作品にとって完璧な場所だと考えました。

――デトロイトは「ラストベルト」と呼ばれる工業地帯の中心です。過去には日本車不買運動もありましたし、二〇一六年の大統領選ではトランプの支持者が多かったとも言われます。経済的に恵まれていない、保守の労働者が多い土地という印象ですが、そこでアンドロイド=労働者の反乱を描くという物語は、政治的メッセージと受け取られる可能性があると思います。そのような受け取りかたについては、どうお考えでしょうか。

ケイジ 興味深い質問ですね。わたしたちはこの作品で、思考を刺激する経験、そして意義深い経験を生み出したいと考えています。今日の世界と共鳴し、現実と関連する物語を作りたい。世のゲームは、現実に囚われず、別の何かを夢見ているものが多いのではないでしょうか。けれどもわたしたちは、そろそろ、深刻な問題を扱う作品を作ってよいのではないかと考えました。隔離や抑圧や市民権などを扱う作品です。わたしたちは、いまやそのような作品も受け入れられると信じています。というよりも、それこそ本作がゲームユーザーのコミュニティに投げかけている質問なのです。あなたたちはこのような経験についてどう思うのか、と。

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デヴィッド・ケイジ氏

アンドロイドから人間を見る

 

――つぎに、アンドロイドを登場させた意味について質問させてください。なぜ人間ではなく、アンドロイドを主人公にしたのでしょうか。

ケイジ 本作の脚本の出発点は、わたしたちが二〇一二年に発表した『Kara』という短い動画作品にあります[★2]。3Dでさまざまな表情をテストするために作成した、いわばテクニカルデモです。そこでわたしは短い脚本を書きました。カーラというアンドロイドが、視聴者の目の前で、生産ラインで組み立てられるというものです。彼女は部品を組み合わせて作られるのですが、感情をもっていました。
この動画がたいへん成功して、何百万回も再生されました。そこでわたしが驚き、また関心を抱いたのは、人々がなぜカーラをここまで愛したかということです。彼女はただのロボットでアンドロイドです。そして目の前で組み立てられている。それなのに人々は感情を感じた。わたしはこのことについて考えたいと思いました。本作の企画が始まりアンドロイドの物語を作りたいと言うと、アンドロイドの物語はいままでもたくさんある、それなのにどうしてあらたに作るのかといった反応が返されました。けれども、自分の物語は過去の作品とはちがうと感じたのです。たしかに、アンドロイドや人工知能が悪者になり、人間がそれらと戦うといった物語はたくさんある。けれども、わたしが語りたいのはそういう物語ではありません。わたしが語りたいのは、アンドロイドが新しい知的な種となり、新しい目をもって世界を発見し、わたしたち人間のほうが古い種になっていく物語です。そこでは、わたしたちのほうが、自己中心的で、テクノロジーに依存し、そして存続するには古すぎる種になっていく。わたしは、わたしたち人間が彼らの視点からどのように見えるかに関心がある。だから視点人物はアンドロイドにしたのですね。

――むしろアンドロイドのほうに、人間の可能性を見たということでしょうか。

ケイジ そうですね。重要なのは、『デトロイト』は、人工知能についてというよりもわたしたちについての作品だということです。それは人間についての作品であり、社会についての作品であり、わたしたちがなにになるのか、なにであることを受け入れるかについての作品です。わたしはたしかにアンドロイドを使いました。でも実際はわたしたち人間についての話なのです。

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©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

――『デトロイト』のオリジナリティを理解したうえで、影響関係もお聞きしたいと思います。労働力として使われているアンドロイド(ロボット)が反乱を起こすという物語は、古くはカレル・チャペックの「R.U.R」に遡り、アイザック・アシモフやフィリップ・K・ディックなど、SFの歴史のなかで多くの名作が生み出されていると思います。今回、参考にした作品、影響を受けた作品はありますでしょうか。

ケイジ ひとはつねに影響を受けているものです。とはいえ、年をとるほど、他人の影響を取り除き、自分の声を見つけようとするようになる。わたしもそうです。
そのうえで言えば、わたしはオーウェルの『一九八四年』のファンです。ブラッドベリの『華氏四五一度』のファンでもある。わたしはSFのいわゆる黄金時代が好きで、五〇年代、六〇年代、すべてが大好きです。むろんディックと『ブレードランナー』もすばらしい。これらの作品と『デトロイト』に共通するのは、人間について語るためにSFと未来を選ぶことだと思います。逆に異なっているのは、『デトロイト』では、人工知能について話すかわりに、アンドロイドの感情的側面に焦点をあてていることです。わたしはアンドロイドを、あるとき目覚めて、自分はもっとよい人生を送るに値すると感じる、そのような存在として描きました。それは多くの人々が感じるものです。わたしはSFの方法をそのように使っています。

――現在、人工知能が人間の労働力を脅かすときが来るという議論、いわゆる「シンギュラリティ」の議論が、哲学者や経済学者、エンジニアのあいだでさかんに行われています。この作品の制作において、そのような議論は参照されたのでしょうか。

ケイジ レイ・カーツワイルの『シンギュラリティは近い』の影響は受けました。あの書物はじつに魅力的です。カーツワイルによれば、人間の脳の力は、過去一万年のあいだほとんど変わっていない。けれども、機械の力は指数曲線にしたがって上昇しており、近い将来ふたつの線は交わる。そのとき機械はわたしたちよりも知的になるというわけです。
わたしは『デトロイト』で、人間であるとはほんとうはどういうことなのか、それは自己意識や感情のことなのか、あるいは共感のことなのか、それとも脳の計算にすぎないのかという疑問を投げかけています。もしも人間が計算にすぎないなら、機械はわたしたちよりも強力になるでしょう。機械もまた自己意識や感情を発達させるかもしれない。しかし、もし人間であることは、魂をもつことだとすれば、それはけっして機械が得られない「なにか」であるはずです。わたしたちはスーパーコンピュータにすぎないのか、それともなにかほかのものなのか。
そしてもうひとつ、『デトロイト』が投げかける問題はつぎのようなものです。もしいつの日か人間が別種の知性の創造に成功するとしたら、わたしたちは「彼ら」にどのように反応するのか。軽蔑し敵視するのか。尊重し対等に扱うのか。わたしに答えはありませんが、じつに興味深い問題だと思います。

――いまのお答えを聞いて思ったのですが、異星人との接触を扱ったSF、いわゆるファースト・コンタクトものにも関心がおありですか。

ケイジ もちろんです。ただちがうのは、ここで問題になっているのは、相手がわたしたちの作ったものだということです。それは、わたしたちとわたしたちの創造物の関係です。人工知能はいったいどの時点で「生きている種」になるのか、どの時点まではコンピュータで実行されているただのプログラムだと見なされるのか。昨年(二〇一七年)夏、Facebook 人工知能研究所の実験で、ふたつのAIが独自言語を開発し、おたがいに話し始めたというニュースが流れましたね[★3]。それは生命なのでしょうか。自分の創造物を見て、彼らが生きているかどうかを判断するのはとてもむずかしいと思います。

――ケイジさんは、人間であることをどう定義しているのでしょうか。

ケイジ むずかしい質問ですね(笑)。

――それこそが本作の核心だと思います。

ケイジ そうですね。人間であることは、共感を感じることではないかと思います。自分よりもほかのだれかを愛すること。それはきわめてむずかしいことで、そしてもっとも深く人間的なことです。子どもがいるひとは、自分よりも子どものほうを愛します。生命をもたない機械にこれができるかどうかはわかりません。けれども機械も、知的になり、自己意識と感覚までも発達させるなら、共感も抱くのかもしれない。わたしにとっては、共感こそが人間の定義のひとつです。

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©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

分岐型ゲームの困難と魅力

 

――ケイジさんの作る作品は、とても物語性が強いことが特徴です。物語をつくるにあたり、ゲームという形式を選んでいる理由を教えてください。

ケイジ ゲームには特別な性質があります。ゲームは、最終的な経験が、作者とプレイヤーの共同作業の結果である唯一の媒体なのです。観客が映画を見るとき、映画はすでにつくられています。見ることはできますが、変更することはできません。けれども、ゲーム、すなわちインタラクティブな物語は、作者とプレイヤーが一緒につくるものです。プレイヤーの物語がどんなものになるか作者にはわからない。それはプレイヤーの選択に基づいているからです。たしかに、わたしたち作者は「なにか」をつくりだします。けれども、わたしたちはそれをもとに、何千人、何百万人もの人々、わたしは彼らを知らないし彼らもわたしを知らない、そのような人々とともになにかをつくりだし、共有する。これはじつに驚くべきことです。見ず知らずの何百万人とともに、ひとつのものを創造すること。それはゲームという媒体だけが提供できることです。
また、ゲームにおいては体験をつくりだすことができるのも魅力的ですね。ゲームの体験はいわば感情のシミュレーターです。ゲームをプレイし、感情を感じる。それはジェットコースターに似ています。プレイヤーは笑顔になり、怖がって、不快に感じ、また笑顔になる。プレイヤーはこれらすべての感情を通り抜ける。それが、わたしがゲームというメディアを愛する理由です。

――日本にもインタラクティブな物語を扱ったゲームはたくさんあります。ただしそれらの多くでは、ある問いに対して「Yes」か「No」か、つぎにどこに行くかを、プレイヤーが明示的に選ぶ形式になっています。けれども、ケイジさんの作品では、必ずしも選択肢は明示的に提示されるわけではありません。選択肢の設定について、独自に工夫しているところはありますか。

ケイジ もっとも興味深い選択肢というものは、そもそも黒か白かという選択肢ではないと思います。それは灰色の影のなかに隠れている。
わたしたちは、本作のプレイヤーに、もしこれがわたしに起こっていたらどうするのだろう、なにを考えるのだろうと、つねに自分に問いかけてほしいと思っています。答えははっきりしないかもしれないし、わからないかもしれない。選択肢についてじっくり考えるために、コンソールのスイッチを切るプレイヤーもいるかもしれない。そのような選択肢が好ましいと思います。ゲームの選択肢においては、プレイヤーの個人的な価値観が問われます。それは道徳的な決断でもあります。作品はそこで、あなたは何者なのかと問いかけている。だからわたしは、本作のなかの選択肢は、黒か白かを選ぶ単純なものではなく、プレイヤーと人間的に共鳴し、そこで下された決断が意味のあるものになるような、そういうものにすることを心がけました。
ところでわたしたちは『デトロイト』で、かつてなく分岐したゲームの制作に挑戦しています。本作の分岐は過去の作品のどれよりも多く、システムが追跡している変数や条件は約六万にものぼります。分岐のツリー構造はたいへん巨大で、物語には多くのバージョンやバリエーションがある。プレイヤーが一度のプレイでは見ることのない物語分岐もたくさんあり、ある分岐では数分のあいだ現れるだけだけれども、別の分岐では物語の最後まで行動をともにするような登場人物もいる。選択の結果がひとつの場面のなかで生じることもあれば、ゲームの後半になってようやく現れることもある。それは信じられないほど複雑ですが、全体を貫くアイデアは、プレイヤーが、意志決定を通じて自分自身の物語を語るようにするということでした。

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©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

――『BEYOND: Two Souls』(二〇一三年・PlayStation®3 用ソフト)に続き、この作品でもキャラクターの表情、とりわけ顔の演出が印象的です。けれども、映画やアニメーションと異なり、プレイヤーの選択によって物語の展開が変わってしまうゲームでは、俳優への指示も大きく異なるのではないかと思います。とくに苦労したこと、工夫したことなどがありましたら、教えてください。

ケイジ それは、とても、とても複雑な撮影でした。そもそも脚本を書くのが複雑でした。脚本を書くだけで二年以上かかっています。撮影もじつに特別で、というのも、俳優のみなさんが最初に脚本を受け取ったとき、それはこんな紙の束だったんです[頭から腰まで両手を広げる]。みなさん、これはいったいなんですかと驚いていた(笑)。
加えてふたつの課題がありました。ひとつは台詞を暗記すること。膨大な紙束をすべて記憶に収める必要がある。それだけでひと仕事ですが、つぎに問題なのは、本作はゲームなので、さまざまな選択肢があるインタラクティブな対話を撮影しなければならないということです。そして俳優は答えのすべてのバリエーションについて納得して演技しなければならない。ひとつの質問に対して、「はい、もちろん」「いいえ」「わからない」「たぶん」と四つの答えを言わねばならず、それらすべての台詞で異なった意図をもって演技しなければならない。台詞ひとつならまだ大丈夫かもしれませんが、これが会話全体となってくると、主人公は発言のたびに四つの異なる台詞を言うわけで、俳優は毎回四つの台詞を記憶しなければならない。苦労は相手役の俳優も同じで、こちらはこちらで、相手が四つの異なった台詞を言うにもかかわらず会話のペースを保つ必要がある。俳優のみなさんには、じつによくやっていただけたと思います。

――ケイジさん自身も演出をされたんですか。

ケイジ ええ。すべての会話で演出を行いました。それはとても重要で、というのも、モーションキャプチャーのスタジオというのは、巨大な空っぽの空間なのですね。衣装はなく、セットもなく、あるのは奇妙なラインが入ったスーツと顔中についたドットだけ。

――(笑)

ケイジ だから、俳優のみなさんは到着すると必ず驚くのです。「え、ここで?」と。そこにはなにもない。グリーンスクリーンのようなものです。そしてそれを三六〇度、八〇台のカメラが取り巻いている。映画であれば、衣装があり、セットがあり、それを見て相手と演技をすることができる。けれども本作では、バカげたコスチュームしかない。それゆえ演出家がとても重要な役割を果たすことになります。俳優たちに文脈を伝えて、ここで起こるのはどのようなことで、まわりにはなにがあり、あなたはこのようなことを感じるのだと説明しなければならないのです。しかも脚本はおそろしく長く、バリエーションが無数にある。演出家がきちんとしなければ、俳優はなにをやっているか見失います。ときどきはわたし自身も見失いました(笑)。

――俳優のみなさんが、むずかしすぎると苦情を言うようなことはなかったのでしょうか。

ケイジ そのようなことはありませんでした。俳優のみなさんはよくやってくれました。あるときスタッフが泣き出したことがあるのですが、モーションキャプチャーの撮影でそのような光景を見たのははじめてでした。正直なところ、撮影はとても感情が疲れる作業でもあったのです。俳優のみなさんは無から感情をつくりだしていて、スタッフも心を動かされていたのですが、現実に存在するのは奇妙なコスチュームとドットだけです。そのようなセットで心を動かされるのは、それ自体疲れることです。

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©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

――想像を絶する作業ですね。撮影は、ひとつの物語の分岐を通して、会話が続くように行ったのでしょうか。それとももっと断片的に行ったのでしょうか。

ケイジ 状況によります。すべての分岐について、いちどにすべての場面を撮影するほうが簡単でしょう。けれども、実際にはスタントが必要な分岐があれば、会話が必要な分岐もあります。異なる人々が必要になるので、いちどにすべてを撮影することはできません。となると、まずはゲーム全体についてスタントを撮影し、つぎに会話場面を撮影し、最後になにも忘れないようにと幸運を祈るほかなくなるわけです。とにかく、『デトロイト』は撮影だけでなく、テストするにも複雑すぎる作品です。ゲームをプレイし、すべての場面を見るだけでも、たいへんな挑戦になると思います。

――ありがとうございます。プレイするのが楽しみです。

ケイジ ところで、最後にひとつわたしからも質問があります。ジャン=ポール・サルトルはご存知ですか。

――はい、もちろん。

ケイジ いいですね。じつはわたしは、いままで述べてきたようなゲームの本質は実存主義に近いと考えているのです。わたしたちのゲームでは、プレイヤーが自分の世界を選択し、自分の人生に責任をもつ。それはまさに実存主義的と言えないでしょうか。

――ケイジさんは、自分のゲームを「実存主義的ゲーム」と定義している。

ケイジ まさにそうです。

――すばらしい定義ですね! 分岐型アドベンチャーゲームは実存主義的なゲームだという言葉は、ゲームの未来を考えるうえでとても示唆に富むと思います。
本日はどうもありがとうございました。

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東浩紀(左)とケイジ氏(右)

◆Detroit: Become Human
対応機種:PlayStation®4
ジャンル:オープンシナリオ・アドベンチャー
発売:2018年5月25日(金)
価格:パッケージ版 通常版 希望小売価格 6900円+税
パッケージ版 Premium Edition 希望小売価格 8900円+税
ダウンロード版 通常版 販売価格 7452円(税込)
ダウンロード版 Digital Deluxe Edition 販売価格 8532円(税込)
CERO:D(17 才以上対象)
プレイ人数:1人
公式サイト:http://pscom.jp/detroit

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©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

二〇一八年五月二三日
東京 ソニーシティ
構成・注=編集部
撮影=編集部

※インタビューでは『Detroit: Become Human』ローカライズプロデューサー・石立大介氏に日本語から英語への通訳をしていただいた。記事化にあたって、ケイジ氏の発言についての英語からの翻訳はすべて編集部が行った。

    1 「自由への行進」とは、人種分離法のもと依然として差別を受けていたアフリカ系アメリカ人などが、白人と平等な市民権の獲得と差別解消を求めた「公民権運動」のデモ行進を指す。デトロイトから二ヶ月後の八月、「I have a dream」の演説で有名なワシントン大行進が行われた。

    2 URL = https://www.youtube.com/watch?v=8wWHxIfwS1k

    3 「ボブ」「アリス」と名づけられた二体の人工知能が「複数の帽子、ボール、本の交換」のための交渉を行う実験において、文法的に破綻した英単語の羅列で会話を続けた。この実験結果は、「会話は理解可能な英語で行う」というプログラムが抜けていたためと考えられているが、人工知能の「独自言語」の発達という観点から多くの注目を集めた。

デヴィッド・ケイジ
一九六九年生まれ。ゲームクリエイター。ゲーム開発スタジオ Quantic Dream のCEOを務める。手掛けた作品に『HEAVY RAIN 心の軋むとき』、『BEYOND: Two Souls』 などがある。

東浩紀(あずま・ひろき)
一九七一年生まれ。作家。ゲンロン代表取締役。主著に『動物化するポストモダン』(講談社)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞受賞)、『一般意志2・0』(講談社)、『弱いつながり』(幻冬舎)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)等。東京五反田で「ゲンロンカフェ」を営業中。

 


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『ゲンロン8 ゲームの時代』大好評発売中!


本体価格 2,400 円 + 税
ISBN: 978-4-907188-25-2
A5判 342頁


ゲームという新しい技術あるいはメディアは、いかに21世紀を生きるわたしたちの生と認識を規定しているのか。 その連関を探る、ゲンロン史上最大の大型特集!
井上明人・さやわか・黒瀬陽平・東浩紀による50ページ超の共同討議に加え、 『ペルソナ』シリーズを手がけた橋野桂、インディーズゲーム向けプラットフォーム「PLAYISM」を立ち上げたイバイ・アメストイへのインタビュー、 さらに吉田寛の「ゲーム的リアリズム」論、アレクサンダー・R・ギャロウェイの翻訳論文等を掲載。 そして特別付録には充実のゲーム史年表と膨大なキーワード集。
ロシアの批評誌『青いソファ』編集長エレーナ・ペトロフスカヤ、哲学者オレグ・アロンソンへのインタビューも特別掲載。 現代タイのカリスマ作家プラープダー・ユン、東アジア思想の精鋭・ホイ・ユクなど国際色豊かな連載も充実しています。

[巻頭言]
二一世紀の『侍女たち』を探して 東浩紀

[特集 ゲームの時代]
共同討議|メディアミックスからパチンコへ――日本ゲーム盛衰史 1991 ‐ 2018 井上明人+黒瀬陽平+さやわか+東浩紀
補遺|視点、計算機、物語――斜めから見るゲームの時代 黒瀬陽平+さやわか+東浩紀
論考|メタゲーム的リアリズム 吉田寛
論考|現代美術の起源――二重化された視覚の系譜 黒瀬陽平
論考ボタンの原理とゲームの倫理 さやわか
論考|ゲームはどのように社会の問題となるのか 井上明人
インタビュー|経験装置としてのJRPG 橋野桂 聞き手=さやわか+東浩紀
インタビュー|ゲームは黒澤明を求めている イバイ・アメストイ 聞き手=黒瀬陽平
コラム|日本国外のヴィジュアルノベル ランディ・アウ
論考|ゲーム的行為、四つのモメント アレクサンダー・R・ギャロウェイ
キーワード|ゲームの時代 一〇の論点 #1 今井晋
付録|ゲームの時代 1991 ‐ 2018年表

[特別掲載]
インタビュー|レーニン、収容所、ポストモダニズム――ロシア現代思想の最前線
オレグ・アロンソン+エレーナ・ペトロフスカヤ 聞き手=東浩紀

[連載]
集中掲載|中国における技術への問い――宇宙技芸試論 序論(2) ホイ・ユク
論考|新しい目の旅立ち 第5回 プラープダー・ユン
論考|独立国家論 第7回  速水健朗

[コラム]
辻田真佐憲/福冨渉/市川真人

[創作]
ディスクロニアの鳩時計 午後の部VII 海猫沢めろん


  

★電子版(EPUB、Kindle)は6月11日(月)発売予定です

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